日々のたゆまぬ努力

ダイエットでも仕事でも何でも、日々の積み重ねが重要だったりするわけです。

Home /
伊勢神宮とは?歴史や成り立ちについて
;

伊勢神宮とは?歴史や成り立ちについて

最終更新日 2024年11月20日 by keitui 「伊勢神宮の歴史が知りたい」 「伊勢神宮はどうやって誕生したの?」 「神社本庁について詳しく知りたい」 伊勢神宮は三重県の伊勢市にある日本を代表する神社の1つで、本 […]

最終更新日 2024年11月20日 by keitui

「伊勢神宮の歴史が知りたい」
「伊勢神宮はどうやって誕生したの?」
「神社本庁について詳しく知りたい」

伊勢神宮は三重県の伊勢市にある日本を代表する神社の1つで、本来は神宮と呼ぶのが正式な呼び方となります。
名前に伊勢がつくのは他の地域にある神宮と区別するのが目的で、この呼び方は通称にあたります。
呼び方には他にもお伊勢さんや大神宮さんなど、さんづけで親しみを込めて呼ばれるものが多いです。
神宮というだけでも特別な存在ですが、伊勢神宮は古来から最高格の特別な宮として扱われてきた歴史があります。
神社本庁においては本宗の位置づけで、全ての神社のトップに位置する神社の中の神社です。
日本国民の総氏神とまでいわれていますから、改めてどれだけ特別で凄い神社かということが分かります。

日本の神社のトップ神社本庁の意外な事実

https://www.keitui.com/worldpovertyproblem.html

天照大御神を祀る皇大神宮がある神社

律令国家体制において神祇体系の最高位に位置し、平安時代にも既に大きな存在感を放っていました。
何しろあの天照大御神を祀る皇大神宮がある神社ですし、衣食住を守る豊受大御神を祀る豊受大神宮まであります。
意外かもしれませんが、神社の多くは仏教建築の影響を色濃く受けていて、それが随所に見られます。
例えば瓦屋根や朱塗りなどがそれですが、伊勢神宮は神明造といって、古代の建築様式で建てられています。
ルーツは弥生時代の高床式倉庫にあるとされており、神に対してお供物をする特別な建物だったことが、建築様式の違いにあらわれていると考えられます。
古くから天照大御神を祀ってきたこともあって、氏神としている皇室との結びつきも歴史的に深いものです。
八咫鏡は神宮の御神体ですが、これは宮中三殿の御鏡と一体不可分といわれています。
その為、神宮は宮中と共に一体性を持って祭祀が行われてきたわけです。

伊勢神宮は公的な神社の性格が強い

南北朝時代までは、宮中から未婚の皇女が派遣されていたほどで、制度化されていたくらいです。
現代では天皇皇后両陛下が参拝したり、神嘗祭に勅使が派遣されるくらいですが、それでも結びつきは依然として途絶えていないです。
神宮の祭主を元皇族が務めていることなどからも、両者の結びつきの深さというものが窺えます。
それだけに伊勢神宮は公的な神社の性格が強く、古代では国家の神が天皇により公的祭祀されてきました。
個人が私的に神に奉ることが禁じられてきた時代もあるので、いかに神宮が特別な位置づけの神社か理解できます。
中世を過ぎると天皇の祖神という性格から、公的性が強まって国家の総鎮守という、庶民を含めた信仰の対象になりました。
伊勢神宮の歴史は天武天皇の時代にまで遡り、社殿などの整備はこの時代に行われたと考えられています。
斎宮は天武天皇の皇女、大伯皇女が初代を務めたとされており、内宮の式年遷宮は持統天皇の時代に始まりました。
その数年後に外宮の式年遷宮も始まっているので、短期間の内に社殿が整備され、制度も確立されたと見て間違いないでしょう。

神宮は11世紀頃に役夫工米制度を取り入れている

ちなみに、神嘗祭に朝廷から例幣使が派遣されるようになったのは、奈良時代以降のことです。
中世では律令制度が崩壊し始め、神宮の経済基盤といえるものが揺らぐことになります。
この変化に対応するべく、神宮は11世紀頃に役夫工米制度を取り入れています。
役夫工米はいうなれば臨時課税制度で、式年遷宮の造営費用の名目で諸国の公領や荘園に課せられたものです。
権門勢家や有力寺社も問わない特権に基づく制度ということもあり、豪農を始めとする荘園の領主達は、伊勢神宮を権門勢すら上回る権威として捉えるようになりました。
そして自ら荘園を寄進する者もあらわれ始め、増加していきます。
神宮御厨の形成が中世の神宮の経済基盤となり、更に特別な存在として広く知らしめられることになります。

織田信長や豊臣秀吉らの寄付によって内宮の遷宮が遂行された

近世では戦国時代ということもあって、戦乱で神宮の祭祀が中断していました。
次第に中断していた祭祀が再開し始め、織田信長や豊臣秀吉らの寄付によって、内宮の遷宮が遂行されたこともあります。
豊臣秀吉の天下統一後は、日本全土で太閤検地が行われましたが、伊勢だけは神領として神宮が検地から外されています。
つまり豊臣秀吉は神宮を神領として保護したわけです。
明治時代に入ると、明治天皇が在位中に初めて天皇として神宮を参拝しています。
なぜ明治天皇が参拝をしたのかは定かではなく、諸説ありますが決定的な理由は不明です。
明治元年に神仏分離令が発出されていますが、神宮もその影響を受けることになります。
明治維新は政治の在り方だけでなく、神宮の組織も変えています。
神職や傘下の諸社を統括する組織として、神宮司庁が設置されたことも大きな変化の1つです。

まとめ

このように、神宮は時代と共に位置づけが変化していますが、特別な神社で多くの信仰を集めていることは変わっていないところです。
三重県が国内外に誇る観光スポットでもあるので、今では海外からも足を運ぶ人が珍しくないです。
来訪者は毎年800万人を記録しており、2013年の式年遷宮では1400万人もの人達が足を運びました。
それほど人々を惹きつける魅力がある神社で、決して歴史の長さだけではない何かがあるといえるでしょう。